全て 宗教事業

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    十二婆姐

    ♦生誕日:註生娘娘と同日♦



    『福建閩部別記』の記録によると、陳靖姑は許真君法師から各門の道法を伝授された後、閩王王廷彬を邪悪な意志から開放して皇后と36人の宮女を救出しました。その後、閩王からお礼として陳靖姑に弟子として送られた36人の宮女を「三十六婆姐」と呼び、各々邪気の駆除・災難除け・妊婦への救助、子授けなどの能力を持てるようにしました。毎年旧暦の1月15日は、三十六婆姐が3つのグループに分かれ、祈願すれば苦しみから解放して必ず救ってくれるという日となっています。台湾の人々は、「十二婆姐」が女性の病気を治すだけでなく、子どもの服・食・住・行い・恐怖・夜泣き・病気や痛みなどの問題について救いの手を差し伸べてくれると信じています。「婆姐」は生育の神とも呼ばれ、一般的には註生娘娘の両側で祀られています。
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    関聖帝君

    ♦生誕日:6月24日(旧暦)♦

    関聖帝君は三国志に出てくる関羽を神格化したもので、名を「關名羽」、字は「雲長」です(かつて中国人は個人に特有の名として「姓(氏)」と「諱(名)」と「字」の三つの要素を持った)。関羽は河東郡解県(山西省南部)の出身で、162年6月24日に生まれ、219年12月7日にこの世を去りました。『台灣省通志』によると、台湾における関聖帝君への信仰は延平郡の王である鄭成功から始まったと記載されています。関羽は、高名な武将であったため、最初は武神として信仰されていました。しかし、義理や信義に厚い人物だったことから財神として、そして元は塩の密売に関わっていたという民間伝承があり、さらにはそろばんや売買の勘定を記す大福帳を開発したという俗説も存在し、山西商人にとって地元の英雄であったというから商売の神としても信仰されています。また、歴代数々の朝廷の封賜を受けたことや、道教・仏教・儒教の三教で広く祀られていることから、関聖帝君には数多くの呼び名が存在します。
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    関平

    ♦生誕日:関聖帝君と同日♦

    関平は、関羽の左右に付き従っている二人のうちの一人です。『三国志』のなかで、父親である関羽の軍勢が荊州において、曹操軍の曹仁・孫権軍の呂蒙らの軍と戦った時に随行し、孫権軍に捕縛され関羽と共に首を討たれたと記されています。関羽は死後に神格化され、多くの廟で祀られています。関羽の右側に立ち、神像は顔が少しピンクがかった色白で、唇はまるで油が塗られているようにつやがあり、若くハンサムな青年の見た目をしています。
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    周倉

    ♦生誕日:関聖帝君と同日♦



    周倉は、関羽の左右に付き従っている二人のうちの一人です。『山西通志』の記載によると、出身は関西地方(涼州)で、元は黄巾の乱に参加した黄巾党の一員でした。黄巾の乱に敗れた後に関羽と出会い、以後死ぬまで行動を共にすることになりましたが、その後麦城を包囲する孫権軍に切り取られた関羽親子の首を見せられた周倉は、城壁から飛び降り自殺しました。関羽は死後神格化され、様々な廟で祀られています。周倉の神像の左手には関羽の青龍偃月刀を握っています。周倉は人々に「周大將軍」と呼ばれ親しまれています。
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    孚佑帝君

    ♦生誕日:4月14日(旧暦)♦



    呂洞賓の俗名は「呂巖」と言います。民間では一般的に「孚佑帝君」、「呂純陽」、「純陽夫子」、「仙公」、「呂祖」などと呼ばれ、道教においては「妙道天尊」、仏教では「文尼真仏」と称されます。民間伝説では八仙の一人とされ、呂洞賓は「五文昌」の一人でもあるので、よく関公、朱衣夫子、魁星及び文昌帝君とともに祀られています。また、元の時代には「純陽演正警化孚佑帝君」の名に封じられ、この名は「孚佑帝君」の由来となっており、儒教・道教・仏教の三界で広く祀られています。
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    司命真君

    ♦生誕日:8月3日(旧暦)♦

    灶神は俗称「灶君」、またの名を「司命真君」、「灶君公」、「護宅天尊」、「灶君爺」、「灶王」と言い、一家の禍福を司る神です。正式名称は「東廚司命九霊元王定福神君」で、中国の商の時代に台湾へと伝わりました。神話的な諸神や宗五祀の他に、五つの儀式である五祀(戸一、灶二、中霤三、門四、行五)というものがあり、灶神は生活神の中の一人となっています。このことから、灶神を祀る習慣には長い歴史があることが分かります。旧歴の12月の24日は、灶神が人間界を離れて天に昇ってその家の過去一年間の行ないを玉皇大帝に報告する日となっています。そのため、この日台湾の家庭では人々はよい報告をしてもらうために「送灶神」という儀式を行います。
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    福德正神

    ♦生誕日:2月2日(旧暦)♦



    福德正神は通称「土地公」として親しまれており、「伯公」、「福德爺」、「大伯爺」、「后土」、「土地」などと呼ばれています。『左伝』や『礼記』などの記載によると、中国では古くから土地神を崇拝していました。その由来は、大地への敬意と感謝を示すためのもので、次第に自然という対象を神格化して扱うようになりました。『台湾省通志』によると、民間信仰ではその後福德正神が豊作や商売繁盛、交通安全、お墓の保護、災いを寄せ付けないなど様々な面で神からのご加護があるとされ、人々に崇められたと記されています。
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    虎爺

    ♦生誕日:6月6日(旧暦)♦



    虎爺将軍は、「虎爺大将軍」や「虎爺公」など様々な呼び名があります。虎爺は動物の精霊への崇拝であり、そのほとんどは下壇と言われる神棚の足元に祀られ、外霊からの侵入を防ぐ役割を担っています。道教においては主神という扱いではなく、それらを支える従神として、宮で祀られている神々を守護しています。進香では、必ず龍の旗と虎の旗で香擔(廟型の小さな木箱)を保護します。風水では虎は魔除けのシンボルの一つとなっています。虎の鋭い眼光と牙が悪気に向かって襲いかかり、悪気を一気に蹴散らすと信じられているためです。そのため、台湾では悪気を追い払い、良い気は逃がさないように見張る虎のパワーを活かせる場所に虎の置物を置いたり、門に虎の絵を描いたりします。また、台湾では十二支の動物のなかで最も高潔なのが龍、一番凶悪なのが虎と考えられており、左に虎、右に龍を配置することでより強いパワーを発揮すると言われています。そのため、ほとんどの台湾の廟では入口に龍が、出口には虎が描かれ、龍の口から入って虎の口から出ることでこれまでの自分の悪い行いが清められると信じられています。これらのことから、虎は台湾において相当重要な動物であることが分かります。また、虎爺にはお茶ではなく水をお供えください。
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    馬爺

    ♦生誕日:2月8日(旧暦)♦

    馬爺の主神はすべて王爺(千歳)と将軍出身の悟りを開いた者です。馬は将軍にとって必要不可欠の装備でした。王爺(千歳)廟以外で馬爺を祀っている廟は、台湾では非常にまれなことです。