♦生誕日:関聖帝君と同日♦
周倉は、関羽の左右に付き従っている二人のうちの一人です。『山西通志』の記載によると、出身は関西地方(涼州)で、元は黄巾の乱に参加した黄巾党の一員でした。黄巾の乱に敗れた後に関羽と出会い、以後死ぬまで行動を共にすることになりましたが、その後麦城を包囲する孫権軍に切り取られた関羽親子の首を見せられた周倉は、城壁から飛び降り自殺しました。関羽は死後神格化され、様々な廟で祀られています。周倉の神像の左手には関羽の青龍偃月刀を握っています。周倉は人々に「周大將軍」と呼ばれ親しまれています。